房総の行基伝承
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行基伝承総覧 [市原市]

参考文献
(1)『稿本市原市歴史年表』 昭和50年3月 市原市教育委員会
(2)『市原市史』

房総半島には,[行基・慈覚大師円仁・源頼朝]などに関する伝承が多く残っています。

和銅2年(709)
天台宗医王山円薬寺
春、行基菩薩、市原郡山倉村堂谷の森にて
夜中光を放つ枯木をもって薬師如来を造仏。
円薬寺の本尊とする。【郡誌】

養老年間(717―724)
市原市五井 光明寺(現在、守永寺)
行基によって開基【郡誌】

神亀元年(724)
市原村 寺山 光善寺薬師堂の薬師如来
行基によって、薬師如来は作られた
光善寺は、古城市原の領主 曽我稲目 の末葉上総介光重の一子 曽我太郎光善により建立【市研】

神亀元年(724)
姉崎町豊成の不動院の不動明王
勅命により行基菩薩が関東を御巡錫の際に造像したものを、開山法印が勘定した。【郡誌】

天平年間(724―749)
養老川 出津祇園山神光寺の妙利大菩薩
行基菩薩、松ケ浦に錫を掛け、養老川中の島山白山妙利大菩薩を勧請。
これが出津の祇園山神光寺である。

湿津村寿福寺
行基菩薩、しばらく滞在。

天平6年(734)
戸田村風戸の日光寺の聖観音像
行基菩薩が、楠をもって自ら彫刻。【郡誌】

天平9年(737)
里見村の医王寺放光院東漸寺
行基菩薩が、里見村の山中で金色に光る古木を見つけ、それを掘り出して
薬師如来・日光・月光の尊像を彫刻。
草堂を造る。
これに領主が造営料として1000坪を寄進し、精舎一宇を建てる。【郡誌】

天平9年(737)
橘禅寺
光明皇后、行基に命じ橘禅寺を創建させた。【寺伝】

天平13年(741)
国分寺・国分尼寺を全国に設ける


房総の行基関係寺社T[丸山町]
参考文献 千葉県の地名 日本歴史地名体系12 平凡社1996・7 角川日本地名大辞典12千葉県 1984・3 安房国丸御厨(まるのみくりや) 源頼義が東夷を平定し[最初朝恩]として所領を得る。 源為朝から源義朝に譲られた[最初之地]。 平治元年(1159)6月に,源頼朝の昇進を祈って伊勢神宮へ寄進。 治承4年9月11日,安房国に上陸した源頼朝は, 丸五郎信俊を案内人として丸御厨を巡検。 平家を討伐したら,新しく御厨を立てて神宮へ奉納する旨を誓った。 丸氏は安楽寺背後の丘に住んだ。 安楽寺に丸氏代々の五輪石塔がある。 『平治物語』上には,義朝に従った「丸太郎」の名が見える。 高倉山真野寺(真野大黒天) [行基・慈覚大師円仁・源頼朝] 真野谷にあり。 真言宗智山派。高蔵山実相院。 本尊:千手観音。 境内に中興碑(宝暦6年)が建っている。 本尊:木造座像 木造行道面が付随 木造28部衆立像23体,風神・雷神像2体, 木造大黒天(千葉県指定文化財) [日本三大黒:延暦寺・河内大黒寺と本寺)  神亀二年 (725年)   聖武天皇時代に、行基菩薩によって開基。   覆面千手観音を彫る。  貞観2年(860)   慈覚大師円仁が当地を訪れた時に,   千手観音の面貌を彫刻。   大黒天を彫刻。   諸堂伽藍を建立。  建永元年(1206年)10月   焼失。  承元2年(1208)   大黒天の信仰に篤い北条義時が七堂伽藍を再建。  建武2年(1335)6月2日   摩利支天立像の胎内に墨書銘あり。     久保郷住人男 4人女3人  戦国期   三芳村の宝珠院の末寺となる。  大黒天像  貞観二年(860年),慈覚大師が真野寺を訪れた際に彫った御秘作。  参籠中の旧正月六日、朝日昇天の中に大黒天が出現。  大師は御尊像を直ちに一刀三礼により彫り上げたとされる。  朝日開運大黒天と称えられている。  毎年二月六日に,御出現を記念して大黒天福祭りを行う。  治承三年,源頼朝公が源氏再興の祈願のために立ち寄った。  後には里見義尭公により領田を賜る。  徳川将軍家からは、御朱印四十三石を賜って隆盛を極めた。  高倉山山頂に建立された。  真野谷に寺があったため真野寺となる。 〒299-25 千葉県安房郡丸山町久保587   電話0470-46-2590 FAX 〜 高倉山真野寺真野大黒天  頼朝関係の伝承   莫越山神社(なこしやま)[丸山町沓見]    源頼朝が妻政子の安産を祈願して社殿を造営。    神鏡・神田20町を寄付。 石堂寺 [行基・円仁] 神亀3年(726) 行基菩薩開基(大塚山)。 仁寿年間(851〜854) 円仁により再興。 創建当時の寺名は石塔寺。  水晶でつくられた宝塔が、当山に納められていることに因んだ命名。  日本三石塔寺のひとつ。(滋賀と群馬の石塔寺) 創建以来、安房の霊場として隆盛をきわめ、多くの堂塔伽藍を有していた。 文明19年(1487)夜盗による出火で全山を焼失。 大永2年(1522) 宗海が,領主丸氏の助力を得て現在地に再建。  現在の本堂はこのときのもの。  単層寄棟造の禅宗様建築(国指定重要文化財)。 室町時代末期  足利頼氏を養育した縁に因み  頼氏の幼名「石堂丸」をもらいうけ  石堂寺に改称。  房総里見氏などから篤い信仰を受ける。  本堂は室町時代の建築様式を色濃く残している。  千葉県内に現存する最大規模の古建築。 江戸中期まで,天台宗安房本山格として信仰の中心となった。 多宝塔 室町時代末期の創建。 露盤に1545年(天文14年)の刻銘あり。 内部には四天柱があり、須弥壇上に木造千手観音坐像を安置。 補注 [永野台古墳] 文化的環境を考えるうえで重要なのは,[海の道]です。 丸山川流域には,69の遺跡が確認されています。 (角川日本地名大辞典12千葉県P.1181) 丸木舟・かい・丸木弓 土器・石器・木の実・獣骨 などが発掘されています。 古墳:3カ所 石堂永野台古墳(丸小学校西側) 四世紀末から五世紀のものと推定? 人物埴輪・須恵器・碧玉製管玉・ガラス製小玉など、 多数の円筒埴輪片が出土。 大正12年1月には「鎌を持つ農夫」の埴輪が出土。 複製品が東京国立博物館に収蔵。 出土品は丸山町コミュニティセンターに保管展示されている。
朝夷郡の英雄 狂言『朝比奈』 シテ 朝比奈三郎義秀 ワキ 閻魔王  平家琵琶・太平記読などに通じる合戦の記述がある。 朝比奈三郎[1176?(安元2?)‐?] 阿波郡千倉町で成人したので,朝夷(朝比奈)三郎と称した。 鎌倉前期の武士。和田義盛の3男。 水練に長じた勇士で,将軍頼家の前で鮫を手捕りにした。 1213(建暦3)の和田合戦では,父にしたがって奮戦。 戦死? 安房に逃亡し,高麗へ向かった? 巴御前の子?(『源平盛衰記』) 『曾我物語』幸若『和田宴』で曾我五郎と草摺引(くさずりびき) を演ずる。 風流や絵画の題材ともなる。 注:朝夷郡は現在の白浜町白浜地区、千倉町、丸山町、和田町、鴨川市の江見地区。 丸氏の勢力圏 源氏がはじめて東国で与えられた所領が丸御厨(丸山町)だったため, 源氏との繋がりが強い。 → 里見物語

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