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芥川龍之介 羅生門 の討論会

芥川龍之介の基本的DATA

羅生門読解資料

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芥川龍之介『羅生門』について空間と時間を超えて行われたNET時代の討論会資料です。
問題の設定が、もっとも重要です。
                         
(1)人間とは?
Q.「人は何のために生まれてくるのか?」Mikami
Q.「下人にとって生きるということは何なのか?」kawaguchi A
Q.「下人は,<生きる>ということをどのように考えていたのか?」Miyagi A
Q.「人間は欲望のためには,どんな醜いことでもするのか?」Nakamura E

#Nakamura E
人間は,欲望の塊である.
欲望を満足させるために,時には,他人を陥れたりもする.
そして,最大の欲望は,生に執着することであるが,
ここを否定することはできない.羅生門の下人も,
ある意味では,あまりに人間的な存在であると言い得る.

#Nakai K
 人間の頭脳は,善悪を正しく判断したり,正誤を正しく認識するようには
できていない?(SEE:夏目漱石『こころ』に描かれた私とK)
「人は何のために生まれてくるのか?」という問いかけは,
「この世は生きるに値するか?」という問いでもある.
芥川は,「人生は1行のボードレーヌに如かず」と絶望的であった?
「飯を食うために生きる」ことを,否定できるか?
夕日の美しさにひもじさを忘れることもある?
いま,あなたが,生きる目的を明確に認識していたとしても,
明日何を考えるかわからない?

#Iwanami A
人は何の為に「何のために生まれてくるのか?」なんて
わかったら,生きる楽しみがなくなる.
「人間とは?」の答だってわかってしまたら,ちっとも
世の中面白くない.
彼女には振られるそれで,人生,面白くないから,面白くしようと
芥川は「羅生門」を書いた.
人間とは?
わからないまま,人間を闇の底に放逐してしまった.
闇?
どこからが,闇?

#Horimoto S
  この世に生を受けて生まれてきた人間はこの世に生まれてくることを必要
とされているからである.
この世で人間として,自分として,なぜ生まれて  くることを必要とされたのか?
その意味や理由を知るために私たちは人間としてこの世でさまざまの体験や経験をして
修行させられているのだと思う.
 その意味や理由とは生まれてきた者の「生きがい」なのであり,
人間とはつまり「生きがい」を見つけるために生まれ,
それこそがこの世に必要とされた最大の意味であり理由なのかもしれない.

#miyamura I
「皆が(この時は老婆が)やっているのだから,オレもやっていいはずだ」という
「赤信号,皆で渡れば恐くない」的な考え方である連体的な現実に対する安堵感から
出た感情がこの時の下人の勇気(はたしてコレを勇気というのかは謎だが)
の原因ではないのだろうか.

#kubo N
  人間が欲望の塊といわれるのは,本当だろう.
自分の欲求を満たす為には,時には犯罪を犯してしまうこともある.
人間とは恐ろしい生き物だ.

#HORA・MSIA
  Q.「人は何のために生まれてきたのか?」
この質問に対して,キリストの書では,次の様なことが書かれてある
 「人間は神の所に帰るためにこの地上で試練を受けるために生まれた」とある.
がっ,実際はどうなのであろうか? 
 人は,この事に対して考えたことはあるだろうか?
私としては,上記のことも一つ考えないでもないが,正直,考えたことはない.
ただ一日一日一生懸命,人間らしくいきればいいと思っている.
恐らく他の人たちも同じだと思う.
では,羅生門での主人公,下人はどう考えていたのだろうか?
恐らく私達と同じだと思うが,ここで一つ言えるのは,
人間は,人間らしい生き方を望んでも,
いざ自分の身を考えたら人間として持つべき良心も捨てなければならない時が
あるのではないだろうか.
つまり人間が生まれながら持つ試練とは,
いかなる時もその状況に添った判断ができるか否かの選択の場所だと思う.
この事に対してとても簡単のように思えてその状況に添った判断をするのは
大変難しいことだと思う.
私達は,もう一度,自分はなんの目的を持ち生まれてきたのか考え,
人間らしい生き方とは何か考えなければならない.
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(2)心とはカオス(混沌)?
Q.「人間に内在するカオスについて?」Tendo A
Q.「人間の本性とは何か?」宮城あづさ

#Tendo A
私たちは,自分の心に打ち克つことはできない.
私たちの心にはカオスが内在し,善悪もそのカオスの一つの現象に過ぎない.
『羅生門』は,人間そのものがカオスだといっている.

#Kawakami K
一瞬にして下人は悪人に変じて,「生きていくために」という
理由をふりかざしその後も悪事を重ねる.
人間は,元来,悪の部分を持っていて,あることをきっかけにして表に出てくる.

#Nakai K
『方丈記』を執筆した鴨長明は,『発心集』の冒頭をこのように記した.
「心の師とは成るとも,心を師とすることなかれ」.
『霊異記』『往生要集』などにもこの指摘がある.
心に内在するカオスをみつめた書として,『徒然草』がある.
随筆文学というジャンルが生まれる機縁がここにある.
『今昔物語集』は,話末詞書に於いて随筆に近似する部分がある.
中世説話の新しい可能性がここにあった.
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(3)悪とは? 罪とは?
Q.「<羅生門>の中で,何が悪だったのか?」Kawano A
Q.「老婆の罪とは?
  死人の髪を抜き取ることは<悪>であるが,
  それをされる人間も悪事を働いていたら罪にはならない?」Yamashita R
Q.「下人・老婆は,悪人なのか?」Nishi E
Q.「下人が老婆を殺した理由は,
 老婆が髪を抜いた女に対していかにこの女が悪者であったか述べ
 自己の行為を肯定したことによる.
 老婆の罪,下人の罪とは,何か?」kobayashi R
Q.「人間の欲について?」Sasao K
Q.「人間の悪について」Koyama N
Q.「誰でも心の中に鬼を飼っている?」Taira A

#Ueda S
善と悪とは対立しない.
人のためになることが善とは必ずしも言えないし,また,仮に
それが善だとしても人間には判断できない.

#Koyama N
下人は老婆から物を奪うという罪を犯すが,
老婆はさらに極悪非道な罪を犯しているので下人は罪を問われることはない.

#Nishi E
死人の髪の毛を抜いた老婆も,
死人たちの奉加もっと悪いことをしているので罪に問われることはない.

#wakabayashi Y
羅生門には悪人しかいない.

#Nakai K
原始仏教哲学では,次のように考えられてきました.
人のためになることが善,人を害することが悪.
義に合することが善,義ならざることが悪.
罪は,「無明」から生じる.
例話『五分律』大正蔵22/184P
ある修行僧が,蛇を殺そうとして石を投げて,誤って人を殺してした.
その修行僧は,どのような罪を犯したのか仏に尋ねた.
仏:「おまえは,どんな心でやったのか?」
僧:「蛇にぶつけようとしたやりました」
仏:「人が死んだことについては,罪にならない.
    蛇にぶつけたことは,ドゥカタという罪になる.」
また,ある修行僧が,人に似ているというので蛇を殺してしまった.
修行僧は,自分が犯した罪を仏に尋ねた.
仏:「畜生の命を奪ったということは,パーチッティヤという罪を犯した
     ことになる.」
→人を殺そうという意図がなくて,誤って殺した場合には罪にならない.
 過失致死は,動機がないから罪には問われない.
 殺人の意図を持っていても,実際に人を殺さなければ罪にはならない.
    悪の原因
      <貪欲・瞋恚(シンイ)・恐怖・愚迷>
   <貪欲・憎悪・迷妄>=「三毒」=罪
  これを棄てることによって人の心は清らかになる.

#Hujishiro H
死人の髪を抜くのも善.
死人が生前に犯した行為も善.
老婆の衣類をはぎ取ったその行為も善.

#hirayama C
「悪」とは何であるのか.
悪を罰する法でさえ時代で変わっていくのだから絶対的な悪はないと思います.
私は羅生門の中に悪はないと思います.
下人は老婆の衣服を奪うという罪を犯す.
だけどそれは,下人の言うとおり「生きるために犯した罪」です.
この場合は,自分の良心に対する言い訳でしかないようにも思えますが.
羅生門の中の罪を全て悪とするなら全員が罰せられるべきだと思います.
老婆も罪を犯しているから,その老婆に対する下人の罪は問われない,
というのは違うと思います.
相手がどうであろうと,下人が罪を犯したことに違いはないのだから.

#Hurusyo K
人間の「欲」というものには際限がない.
一つ満たされればまたその次へと永遠と繰り返される.
その際限のない欲のせいで,人間は自分の首を締め付けているように思う.
例えば環境問題.
生活する上で必要とする自然を自分達の生活観念(?)で汚染し,
大気汚染やオゾン層破壊といった自分達では解決できないような事態を
引き起こしているからである.
地球の危機だとかいっているが,
実際には自分達人間の危機なのではないだろうか.
つまり人間の欲というものには際限がなく,人間は欲の塊ということになる.

#Tokuda Y
盗人は勇気がなかったのでなく,勇気をだせなかっただけである.
盗人に限らず人間は誰でも悪の心をもっている.
それを表に出すか出さないかの違い.
羅生門における盗人は自分の命が先と考え盗みをしてしまった.
人間はいざとなった時,何でもできるものだ.
今,私達は豊かな生活を送っているから盗人の気持ちはわからないが,
もし,今,戦争にでもなったとしたら食料はなくなる.
人間は何でも食べるだろう.人間が人間をたべるかもしれない・・・・・.
どんな偉い人だろうが,人間は自分が一番かわいい.
だから,他人より自分に物事が有利にはたらくようにする.
だから,はじめから悪い事をしようだなんていう人はいないのだ.

#Kume S
誰でも心に「鬼」を宿している.
それは「理性」によって抑えられており,自分の中の「鬼」を如何に表に出さないか,
ということで人間の善悪が決まる.
人間は,欲望が満たされると何故か虚しくなる.
それは,人間が欲望を糧として生きているからではないか.
ひとつの欲望が満たされると,次の欲望を探し,それに向かって突き進むのである.

# Senaga Y
下人は老婆から衣服を奪う.
老婆は死人から髪を奪う.
罪とは何なのだろう?
二人は罪を犯した.人のものを取るという罪を.では誰が罪を作ったのだろう.
これが罪だと,決めた人でもいるのだろうか.
ではその人は,善人だというのだろうか.
この世の中に,罪人でない人はいない.
人はみな,罪人なのだ.悪を決めたのが人間なら,人間は悪なのだろう.
自分が,善人だと思った人間は,たくさん悪いことをした人なのかもしれない.
それとも,多くの哀しみを知った人か.
罪人が罪人をさばくこの世の中,人はみな,自分の罪から逃げているのかも知れない.

#Mitsuyasu H
人間は誰でも,心の中で正義的な部分と悪意的な部分の両方を持ち合わせている.
悪の部分はふだん,心の奥にひそんでいるが,何かのきっかけで突然表に出てくる.
下人の場合は,老婆の悪にふれて激しい憎悪がわき,悪が表れた.
では,老婆の場合はどうだったのだろう?
やはり,何か悪が表れるきっかけが老婆にもあったはずだ.
たとえ,「生きるため」に死人の髪を抜き取っていたとしても.

#Tamura A
  人間は,いったい何を基準として善と悪とを判断するのだろうか.
心の中にどんなに大きな悪が隠れ住んでいようとも,
涼しい顔で善人のふりをしている者には,以外と気付かないものである.
つまり,あるきっかけでその心の中の悪が表面に現れたときにはじめて,
その人は悪人とされるのではないだろうか.
心の中でどんなに罪深いことを考えていても,人の目に触れることがなければ,
それは罪にはならないだろう.
しかし,その心の中にある悪までも取り去ろうとして,
俗世を離れ,心を清らかにしようと努める僧や修道女もいる.
その人達からみれば,人間の欲求全てが悪だと言えるのではないだろうか.
例えば,物欲や性欲,ある意味では,食欲までも我慢することが修行とされているからである.
人間は弱い生き物であるから,他人のために無償で自分自身全てを犠牲にすることは
そうそうできるものではないだろう.
誰かの命を救うために他の誰かを殺したとする.
確かにそれは罪になる.
しかし悪といえるだろうか.
見方によれば尊い命を救うために,自分の身を危険にさらしてまで戦った英雄ではないだろうか.
そこで,それを自分に置き換えてみるとまた違った見方が生まれる.
自分が殺される前に相手を殺せば,行動に移してしまった以上,悪であり罪である.

これまでに挙げてきた内容から,
わたしが考える罪とは自分の中で芽生えた悪に勝てずに行動に移し,
人の道にそれてしまうこと.
そして,悪とは自分の中に生まれるあらゆる欲望や憎悪の念だと考えている.
しかし,私たち人間にはそれを抑える理性が与えられている.
その理性が通常に働くかぎり,善と悪を見極めることができるだろう.

#Kageshita T
そもそも何が悪なのか,そしていったい誰がどのような基準でそれを決めたのか?
だいたい国が違うだけでも悪の定義は様々に異なっていくのである.
これが悪だ,と決めつけられるものなど果たして存在するのだろうか.
『一人殺せば犯罪で,百人殺せば英雄だ』とは先代の偉人の残した言葉であるが,
これはまさに人間が自分達の都合で悪というものの定義を書き換えたことに対する
皮肉である.要するに,善も悪も何もかも,人間が勝手に造り,また変えていくものなのだ.
人を殺す時も,物を盗む時も,破壊する時も,そして戦争をする時も.
小説家の田中芳樹氏の著書の中に,
『この世には絶対的な悪などない.あるのは主観的な善と主観的な善だ』
といった言葉があるが,私は,厳密にいえばその善すら存在しないではないかと思う.
善悪という価値観は,この世に生みだされたその瞬間から常に変動し続けるものなのである.
羅生門の中の下人と老婆の二人は,現在の基準でみるのなら悪なのだろう.
しかし,変わり続ける善悪の価値観のなかで,それにいったいどれほどの意味があるのか.
私は彼らが悪だとは思わないし,また善だというつもりもない.
下人も老婆も,ただ生きているだけだと思う.
悪人が悪人であり,善人が善人であると言い切れるような世界が存在しているのか,
それがわからない限り,この問題に関する明確な回答はでないであろう.

#Miyamura I
老婆が行っていた行為に対して「正義感から」怒りを感じたのではなく,
老婆が自分を脅かした事に対しての怒り,
このような自分よりも見るからに弱そうな者(この場合老婆)に対して
びくびくしてしまった自分に対しての嘲りも多少入っている感情ではないか.

#Shido K
人間は誰でも,心の中には悪を持っている.
それを表面に出す人間は罪を犯してしまう.
要するに罪というのは,
誰もが持っている悪の心に負けて悪いことをしてしまうことではないだろうか?
わたしが,思う悪と言うのは心の中で思うだけの事だと考える.
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(4)下人の行方?
Q.「下人はその後どうなったのか?」rieko・ai

#Oba A
 下人は盗人となり,その世界での頭となる.
そして官僚の人間と裏で通じ,お互いの情報を交換し合う.
そのため下人は悪事を働いても捕まる事はなく,政治に関するものなど
極秘の情報までも手に入れ,図に乗っている.
ここまで密接につながればもう怖いものはないと下人は思っていたが,
官僚の人間は情報を知られた事によって自らの地位を失う事を恐れ,
「知りすぎた」下人を危険人物として抹殺.
裏切られた下人は死に際に
「結局俺は誰にも必要じゃなかったということさ…フッ….」と呟き息絶える.
下人の悲しい最期.

#Nakai K
ドストエフスキー『罪と罰』では,罪の前に佇むラスコリニエコフがソーニヤに出会う.
『羅生門』の下人も,ついには人間の心の中に仏性が宿っていることを知り,
はじめて真実の信仰の道に入る?

憎悪の感情と善悪の理性が交錯し,
身体的にあるいは精神的に醜悪で不潔なものを忌み嫌い,
その感情に悪という衣を着せ排除する?

その場その場で善人を演じたり悪人を演じたりしつつ生き延び,
気がついたら普通の都人になっていた?

生きるために老婆を襲ったように,今度は自分が餌食にされた.

胸に突き刺さった短刀を見ながら,下人は「これが人間の世の中だ」とつぶやく?

老婆から奪ったわずかな品で運をつかみ,ついには普通の都人になった.
子供が成長したとき,道徳を説いている自分に気がつきはっとする?

闇の世界に生きる人々と合流し,闇の世界で生き続け,
ついには官憲の手で捕まえられることもなくこの世を去った.
阿弥陀の手に結びつけた五色の紐を握りしめながら,
「これが人間の世の中だ」とつぶやいた.
しかし,極楽往生を約束する僧侶たちの臨終の読経によって,
その声はかき消された?

罪をひた隠しに生きついには検非違使にまでなるが,あるとき老婆の娘に出会う.
下人は,それとは知らず結婚するが,押入に隠し持っていた老婆の衣を見つけられ,
娘に報復される?

老婆は荒廃した都の境界に棲む悪霊であった.
老婆の衣を奪った下人は,老婆に代わって悪霊とならなければいけなくなった?

老婆は都ができて以来境界に住み続けた神であった.
都が荒廃し,神も凋落した?

自己を破綻においやった原因は世の中の矛盾にあるとし,
生産に従事せず搾取を繰り返す貴族こそが諸悪の根元であると論じ,
ついには律令制・天皇制を否定するに至った?

老婆からの略奪品をお布施として献じ,罪を浄化した?

老婆からの略奪品をお布施として献じたら,
老婆も下人も共に功徳を積んだと師から諭された?
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(5)孤独とは?
Q.「人はなぜ孤独と感じたときに孤独でなくなるのか?」Okawara K
Q.「孤独とは,神と二人きりになること?」Ogata Y

#Ogata Y
孤独とは,ことばが意味をもたなくなること?
羅生門では,孤独が世界を凍り付かせ,善と悪が対立しなくなっている.

#Kume S
「自分は孤独だ」と感じるのと,真の孤独は違うのではないか?

#Kudo H
「孤独とは,精神的な孤独と,この世に唯一一人であるという隔離的な孤独がある.」
精神的な孤独とは,いくら周りに人がいても言葉が通じても,
心を閉ざしているうちは孤独に変わりはない.
孤独とは周りの世界を見ない事.
周りに何もない事.
自分以外何もない事.
自分が唯一のもの.
もしかしたら自分さえいないかも知れない.
完全な無.

しかし,完全な無.心を壊した人間は孤独なのか.
孤独さえ感じていないかもしれない.
本人が孤独じゃなくとも,他人がその人を孤独と見て,
孤独としてしまう事もあるんじゃないか.
人の孤独の基準は様々である.
<結論> 孤独と思いそれに負けた時が本当の孤独だと思う.

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(6)ひとが自らの運命を切り開くとき,その勇気とはどのように生じるのか?
Q.「盗人になる勇気がなかった下人が,なぜ盗人になったか?
 勇気はどこから生じたか?」Morimoto H
Q.「その勇気とは何か?
 その勇気によってなぜ下人はこのようになったのか?」Hunatsu E
Q.「下人が老婆に憎悪を感じたのはなぜか?」Okawara K
Q.「下人に飢え死にするか盗人になるか判断させたものはなにか?」Kawakami K
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(7)主人公の設定
Q.「主人公をなぜ「下人」としたか?」Oba A
#Oba A
出典となった今昔物語では,「男」と表示.
そもそも今昔物語では「盗みをするために都に上ってきた男」と設定されている.
それを芥川が,「下人」としたのは,
人間が本来心の中に持っている闇の部分を描きたかったから.
主人公が名前を持たないことにより,人間そのものを見つめることができるようになる.
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