以下の資料は、仲井が<古典の世界>を講義するにあたってまとめたノートです。 考えるための資料であり、さまざまな仮説が混じっています。 この講義のテーマは、<海>です。 <海>をテーマに,古代へと旅をしてみましょう。 ここに書くことは,すべて考えるための資料です。 でも、 「あっている」とか「間違っている」とか、 そんなことはどうでもいいのではないでしょうか? 大切なことは、いろいろと考えることだと思うのです。 <いろいろと考える> このことをつきつめた書物は、鎌倉時代末期に書かれた『徒然草』です。 『徒然草』は、 フランスのモンテーニュが書いた『エセー』や パスカルが書いた『パンセ』 と同じように、 人間の心についていろいろと考えているうちに、 不条理の中をそれぞれに生き抜いていく人間の 原価と可能性とを見つめなだら、 さらに思索の旅を続けた兼好によって書かれた随筆です。 一つの答えは、 次の疑問を生みます。 疑問は、次の答えを導き出します。 行き止まりがないことに絶望することなく、 むしろ、だからこそ人生は生きるに値するのだと兼好は説きます。 いろいろと考えながら過ごしていくのが 我々の人生なのだ! ――と『徒然草』を書いた兼好法師は説いているのです。 これから、 『徒然草』が書かれた時代までを、<海>をテーマにたどってみましょう。 [ひらがなの文学]表音文字 人間は、最初から<ことば>によっていろいろなことを書き表すことができたわけではありません。 ひらがなが生まれ使われるようになったのは、西暦800年より少し前のころと考えられています。 奈良時代(700年代)に編纂された『万葉集』は、漢字表記です。 900年ころに編まれた『古今和歌集』は、ひらがなを使っています。 このあいだに、ひらがなとカタカナという二つの表記が考え出されました。 ひらがなは、おもに女性が使いました。 カタカナは、おもに僧侶が使いました。 (1)『古今和歌集』の編者である紀貫之は、土佐の国(高知県の県知事)になり、 その帰路を日記に残しました。この日記はひらがなで書かれていますが、 自分のまわりのことを書くことには成功しましたが、自分心の中を自由に描くことはできませんでした。 (2)『蜻蛉日記』(カゲロウノニッキ)は、心の中の描写に成功しました。 でも、外界の描写にはそれほど熱心ではありませんでした。 (3)『源氏物語』は、外と中の両方の描写に成功しました。 ちなみに、『源氏物語』の最初に出てくる歌は、 自分の死を悟った母親が、愛する子供を夫に託す歌です。 子供の名前は、光源氏。 <すべてのものは、滅びる> このような考え方を無常観といいます。 意味は、「いろはうた」に述べられています。 こうして平安時代は過ぎていきました。 平安時代末期になって、貴族の世界が崩壊し武士の時代になります。 鎌倉幕府を開いた源頼朝は、一度は戦いに負け房総に逃げてきます。 鎌倉幕府の時代に元が日本に攻めて来ました。 もし負けていたら、日本は征服されていたことでしょう。 しかし、「神風」が吹いて、日本は独立を守りました。 元寇に耐えた鎌倉幕府も、経済的な矛盾が噴出し崩壊していきます。 『徒然草』は、鎌倉幕府崩壊の時期に書かれた随筆です。 この授業では、『蒙古襲来絵詞』を見ることになります。 したがって、舞台は,九州の博多が中心になります。 しかし、房総の清澄山や安房神社も出てきます。 とくに清澄山頂上は,日本の文化を考えるために絶好の地です。 ぜひ一度は妙見堂まで登って,頂上に吹く風を感じてください。 自分の足で四季折々の風の中を歩くこと――古典を学ぶうえで一番大切なことです。 平仮名を使って編纂された『古今和歌集』は、次のような展開になっています。 春の風が吹いて、山の中にいるうぐいすの 凍った涙をとかす。 そして、梅の香りが、里に満ちる。 うぐいすが里に下りてくる。 桜が咲く。 つまり、歌を並べることで、四季の風景を展開しているのです! 清澄寺頂上からは、何が見えるでしょうか? 鴨川の海が見えるはずです。 海の色はこんなにも不思議な色をしているのか! 海から吹いてくる風は、こんなにも爽やかなのか! あらためて、<海>のすばらしさに驚くに違いありません。 この海は、物資輸送の幹線航路でした。 破船の危険を冒しながらも、人々は房総沖の海を行き交いました。 四国の「阿波」と房総の「安房」と同じ名前であるのも、海の道が関係しています。 授業では,PowerPointというアプリケーションを使っています。 資料は無線LANサーバに収録しました。 コンピュータでそれらの情報を入手し、 自分の考えたことを自由に書き込んで、 CDに納めて持ち帰ってください。 自分のCDのできあがりです。 コンピュータは、 情報を入手し、 情報を分析し、考え 自分の考えを発表するための道具です。 みなさんも、卒業研究などでコンピュータを使うことになります。 自分の人生を可能性にあふれたものにするためにも、 コンピュータを考えるための道具として活用してください。 そして、外国のことと同じように、自分の国についても考えてみてください。 では、[日本]という国について海をテーマに考えてみましょう。 神話の世界 <海>のうえにできた日本 ■日本の神話は,国土を海から見ている! 『古事記』・『日本書紀』 天地創造 宇宙のはじめ,天と地が分かれる。 国土は,水に浮かぶ脂アブラのように,あるいはクラゲのようにふわふわと漂っていた。 イザナキノミコトとイザナミノミコトが,アメノヌボコという呪器によって漂う国を固めた。→オノゴロジマ 【国生み神話】 日本=大八島国 1) 淡路島 2)四国 3)隠岐島 4)九州 5)壱岐島 6)対馬 7)佐渡島 8)本州 島しかない! 山は?? →淡路島に住む海の民の伝説を使ったか?? 聖数 = 8 ? ひふみよ いむなや と数えたのでは?? 奈良時代 奈良時代の千葉県鴨川市 ■不思議法師が清澄寺を開く! 宝亀2年(771年)清澄寺創建 ? 「不思議法師」とは,<山―海>で修行する法師? 場所:清澄山の妙見信仰(妙見山) 383m,県下第2位。安房と上総の境界に位置する。 頂上に碧池(澄みきった深い緑色の池)があった。 日照りのときにも涸れることがなかった。 そこから,「清く澄む」と名前がつけられた。 夜,海を渡る船は,北極星を目標に航行する。 船乗りは,北極星(北斗七星)を妙見菩薩として崇める(信仰の対象とする)。 清澄山の頂上 → 妙見菩薩を祀マツる。 海から見たときのランドマーク(目印) 「不思議法師」は、ランドマークである清澄寺の頂上で「星祭」に奉仕した集団か? 天津から内房まで大八車で運ぶことができるようになったのは,明治34年。 外房は「海の道」のハイウエイ。 奈良時代の房総半島 「上総」と「下総」の上下関係は、何に由来する? 東海道は、三浦から木更津へ海を渡り、現在の千葉市の方に向かう。 (だから、「上総」「下総」の順になる。 ■奈良時代の市原市 国分寺 65mを越す7重塔 国分寺 奈良時代に、聖武天皇が東大寺を建てる。諸国に国分寺を建てた。 YAHOOで「安房」の「国分寺」を調べてみよう。 ■<日本>という国の範囲は? ・比叡山(天台宗)の開祖「宇志丸」 天智天皇が大津京に都を移したときに、鴨一族の「宇志丸」が大和の三輪神社を移した。 宇志丸は、常陸(茨城県)出身との説がある。 ・春日社(藤原一族の氏社) 鹿嶋に坐す健御賀豆智命(タケミカズチノミコト)、香取に坐す伊波比主命(イワヒヌシノミコト)、 枚方に坐す天之子八根命(アメノコヤネノミコト)、比売神(ヒメノカミ) 『延喜式』(春日祭祝詞) 日本の歴史に大きくかかわる比叡山(日吉神社)と春日大社は、祭神に関東の海側の神々を選んだ? 市原市の七重塔の造営から考えても、房総は大きな経済力を持っていた。 ■鴨一族は京都の鴨一族が有名。 太平洋を北上し、一部は浜名湖あたりから上陸? 他の一族は、房総半島に上陸? 房総半島には、「鴨」「加茂」という地名が多い。 それらは、神社勧請に由来すると説かれるが、古い時代の名残ではないか? 平安時代 ■次の話は、奈良時代に房総半島出身の僧が、奈良県の吉野で修行をしたときの話。 この僧は、奈良の都でも有名な僧になりました。 日本霊異記 奈良時代末期から平安時代のはじめにかけて編纂された仏教説話集。(日本で最初) こんな話が載っています。 千葉県山武郡(あるいは,千葉県君津市や富津市のあたり?)出身の僧がいました。 名前は,禅師広達。 この修行僧は,災いを取り除き幸いを招くことのできるばかりか病をも治すことができました。 広達は,聖武天皇の時代に (奈良の大仏を作った天皇。市原市に65mを超す七重塔が建てられていたころ。 不思議法師が清澄山で修行をしていたころ), 奈良県吉野の金峰山に入りお経を唱えながら修行に励んでいました。 あるとき橋の上を歩くと, 「ああ,ひどく踏まないでくれ」 と,声がするではありませんか。 不思議に思って橋の下を見たが誰もいません。 川辺に降りて声をたどってみると, 仏像を作るために切り出してそのまま放置してあった木が声を上げているのでありました。 そこで人々に声をかけ,この木から 阿弥陀仏アミダブツ・弥勒仏ミロクブツ・観音菩薩カンノンボサツ などを彫りだし,皆でお供え物をしました。 今は,吉野郡大淀町越部の岡堂に安置してあるということです。 <海の道> 安房(千葉県)と阿波(四国) 「阿波」と「安房」 房総半島の最先端(館山市大神宮258)に安房神社が建っている。 由来は,以下の通り。 その昔,天富命(あめのとみのみこと)が四国の阿波に住んでいた忌部(いんべ)氏を率いて, この地に上陸したときに,祭神天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀った。 それ以来,安房一宮として現在に至る。 天富命が,この地に麻を植えたところ,とてもよく実ったため,「総」の字が付けられ, 「上総」「下総」の国名がついた。「上」は,東海道が海の道を経て「上総」から「下総」に通じていたことに因む。 「安房」の地名は,「阿波」の言い換えとされる。 ■日本霊異記の世界 正式の名前 → 日本国現報善悪霊異記 1)<日本の国>を意識する。 一番北側に位置するのは,上総(千葉県) 一番南側に位置するのは,肥後(熊本県) 2)<善悪> → 法相宗の立場から,善人と悪人とを分けて,悪人は永遠に地獄に落ちるとする。 天台宗(最澄)は,みんな例外なく仏になる性質を持っていると説く。 この対立は,平安時代の一大論争になった!! ★円仁は,天台宗に密教を導入した人。 密教 → 山や川、草や木も仏になる性質がある! <日本仏教の特徴> 日蓮は,天台宗を学ぶ。 ■慈覚大師円仁 承和2年(835年) 天台宗円仁が清澄山にのぼり虚空蔵求聞持法を修した。 あけの明星 円仁の伝承は,鹿野山・笠森寺など房総を含む日本各地にある。 浅草寺・恐山など多数! ■今昔物語集の世界 1100年を少し過ぎたころに編纂。 天竺(インド)−震旦(中国)−本朝(日本) 西のほうに、「浄土」ジョウドがある。 西に向かって、心に仏を念じると、 極楽往生できる。 大阪の四天王寺の東の門は、 西方極楽世界に通じていると信じられて 平安時代には 海の中に向かって歩いていった! 熊本県の玉名市にも同様の信仰がありました。