真ケ谷天神畑太子堂縁起
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千葉県市原市真ケ谷[太子堂縁起]

養老川の聖徳太子伝承

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真ケ谷太子堂縁起のキーワード

上総 養老川 市原 真ケ谷 伊豆 箱根
吉野村 三百騎坂 悪谷村 石川村 長峰 矢口 矢田村
源頼朝
八幡大菩薩 箱根権現 白旗大権現 
聖徳太子 行基 弘法太子

市原市五井の養老川南側の飯沼(旧、東海村)に
龍昌寺牛久の北側に真ケ谷というところがあります。 ここに太子堂という由緒のあるお寺が建っています。

市原市内の聖徳太子伝説
1)旧内田村(真ケ谷)太子堂
2)龍昌寺
3)惣社国分寺

真ケ谷太子堂には、注目すべき「聖徳太子伝説」が伝わっています。

太子堂寺縁起

抑、当山の開基 源海阿閣梨は、元箱根権現の別当にして、
世の動乱により当国に移り、其時守り奉れる太子尊像は、
行基菩薩の彫刻し給へる所なり。
抑、菩薩太子の尊像彫刻の縁起は、人皇四十六代孝謙天皇の御宇、
天平宝字二戊成年菩薩、伊豆・箱根両権現へ一七日御参籠して、
天下泰平国家安全の御祈念有りけるが、
折節、月のさやけき夜宮殿に通夜して、
一念三千の観念に心耳をすまし給ひける折から、
宮殿に光明を放ち、聖徳太子御神体を顕わし、
菩薩願はくば
「我神体を彫刻して永く当国の霊神となせ。
然らば、仏カを添へ天下泰平ならしめん」
との給ふ声と諸共に、諷々たる松風にてありけるは、
菩薩感謝肝に銘じ、則刀を取り一刀三礼の御修法ありて、
尊像を彫刻箱根山の麓に安置し奉り、
僧は、源右兵衛佐殿、年頃祈の師なりければ、此専像を拝し、
右兵衛佐殿 御武運長久 泰平の御祈祷不怠処御祈祷満ちける夜、
太子右兵衛佐殿の御夢枕に立ち給ひ、
「正道の願 我仏カを添えん」
との給ひ、御夢覚めければ右兵衛佐殿 心信弥増念じけるが
不思議成哉、程なく治承四年七月五日平家追討の院宣を蒙りたること
感ずるに猶余り有り。
源平の戦是より止む事なく、既に動乱により其頃の別当源海阿閣梨
尊像を当国へ守り奉り、当寺を開基して安置し奉り、
聖徳山宝珠院太子堂寺と号せし也。
ここに頼朝卿、院宣を蒙り、義兵を揚るといヘども
石橋山の合戦に御勝利なく八騎迄に打なされ、
伊豆国より安房国へ渡。
平群郡勝見の浦に御着船有りける故、御喜悦不斜御歌に、
  落足の乗り行く舟をかけりなば
   かつ見の浦につくぞうれしき
斯なん詠じ給ひて、夫より追々御加勢 御催促 被遊 段々当国へ為渡給ふ砌
淵の明神へ御参詣有りて、千返の御礼拝奉り 終夜念誦し給ひて 御歌を読ませ給ふ。
  源はおなじ流れぞ石清水
   せきあけこたへ かみのうへまで
と彼の明神は八幡大菩薩を祝し奉りけれ、かくなん思召つづけ給ひけり、
暁かけて御上殿より御返歌有り、
  千尋までふかく頼みて石清水
   たたせきあけよ 雲のうへまで
其外様々の御奇瑞有りければ、御本意遂げんと御悦び思召
直に洲西の吉野村へ御越被成、
此処にて御身方三百騎にならせ給ふてより、
其処今尚、三百騎坂と申すなり、
夫より当国市原郡立野村へ被為成、
御旗竿新に御切替被成、夫より内田郷へ被為渡
御道すがら、当所悪谷村の堤に 木瓜の花咲きたるを御覧有りて
「おしき花に茨有りや」との給ひしが、
其後其所の木瓜の木 今に至るまで茨なし。
石狩の御盛徳、左も有るべきか、
扨、内田郷へ被為入 所々御一覧有けるに、
其頃石川村に長峰と号して高き広野有り、
此処に御陣を取り、御旗を建て御軍勢 御催促被為 左其砌当寺へ御参詣被遊
太子の御由来を御尋被成 御縁の不浅事を思召 御心信弥増し 御誓願有りて
御陣被遊 其夜太子の御告に、
「爾、願望空しからず、急ぎ泰平に治むべし」
と有りければ、太子の御霊験今に始めぬ事なれば、
御喜悦不斜思召、則当寺へ弘法大師一刀三礼の十三仏、
拝仏具一面、松虫・鈴虫とて鈴二振、△△壱ツ、
都合五品 奉納被遊、今当寺の宝物是なり。
尤其節の給ひけるは、
「天下治平の後、御地内御寄進有るべし」
と仰ける故、門内不入の地なり。
又或時、御弓矢をとり給ひ、
「弥、我世に出るものならば、此矢末世まで矢の竹となれ」
と射させ給へば、不思議成哉、
其矢沼の中に立て、矢の竹と成り、
射させ給ふ所を矢口村と云ひ、
又矢の立てる処を矢田村と申なり、
御陣を取り御旗を立て給ひし所を白旗台と云、
御旗を立給へる跡へ白旗大権現と勧請し、
偖、夫より頼朝卿朝日の旭る如く 御開運有りて
天下泰平に治り給ひしは、是偏に聖徳太子の御仏徳ならん哉、
又如何なる故か、太子月毛の馬 あし毛の馬おしませ給ひしにや
押て所持致すものは栄ひけり。
又、剣林不犯 忠孝義貞にして此御仏を信仰するものは、
如意満足不到処なし。
是普く世の人の知る所なり、
誠に霊験あらたなる事筆紙に難尽
略縁記。
文治二丙午年九月
上総国市原郡内田郷真ケ谷村
              聖徳山  太子堂寺 開基源海大法師

惣社の国分寺には、前の二寺の太子像と同じく、太子十六才の姿、
一般に孝養像といわれる立像(江戸時代の像)があり、
境内の西北隣は字太子堂という。


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