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市原市の歴史 潤井戸  [曲亭馬琴:四天王剿盗異録]

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  • 坂田の金時が活躍した沼地 潤井戸の伝承

    坂田の金時が活躍した湿津。
    水鳥が泳ぐ情緒あふれた湖。
    永井尚政によって,
    元和2年(1616)〜寛永3年(1626)の間に築造。
    上流には,水神様(文化14年)が祀られていました。
     
    現在は,
    江戸時代に築かれた堰の上流にコンクリートの堰が築かれ,
    谷の上の台地は,開発が進んでいます。
     
    西南の台地の上には,縄文時代の集落がありました。
    動物を捕獲するための落とし穴などが見つかっています。

    T.曲亭(滝沢)馬琴[四天王剿盗異録(してんのうしょうとういろく)の登場人物] 

    曲亭馬琴【きょくていばきん】

    ペンネームの由来は,「くるわでまこと」(女郎屋で「まこと」を説く野暮天)。 実際,締め切りを守る,律儀な人物であった。 作品の数は,400以上。 1767‐1848(明和4.6.9‐嘉永1.11.6)。享年82歳。 江戸後期の読本作者。本名滝沢興邦のち解(たきざわとく)。曲亭は戯作の号。 別号,大栄山人,著作堂主人,蓑笠漁隠,信天翁など。 旗本松平鍋五郎信成の用人興義の5男。 江戸深川生れ。 父,兄が早世し10歳で家督を継ぎ松平家に仕官する。 主人がひどい癇癪持ちで長く続かず,放蕩無頼の生活に入る。 1790(寛政2),24歳で山東京伝に入門。 92年,書肆蔦屋重三郎の番頭となり黄表紙を執筆。 (蔦屋重三郎は,歌麿や写楽を発掘) 1804(文化1)に読本の初作「月氷奇縁」,07年に「椿説弓張月」を著す。 京伝と抗争しつつ名をあげる。 1814年より,中国白話小説にならい勧善懲悪説による長編「南総里見八犬伝」を刊行。 28年後に完結。 全180回106冊。 末期は失明し口述筆記。 この頃,仕事のこともあり息子の妻であったお路を側に置いたため,妻のお百が嫉妬。 何かとお路をいじめた。 お百は,八犬伝の完成前に逝去。 「俳諧歳時記」「近世物之本江戸作者部類」,家譜「吾仏の記」,「馬琴日記」 ほか自作の評答,書簡など多数を残す。

    『四天王剿盗異録』

    文化元年,大阪心斎橋博労町 岡田茂兵衛の発刊。 主人公は,土蜘蛛の性でもある大悪党の袴垂保輔。 運命に呪われた保輔を巡って, 源頼光の四天王・藤原保昌・和泉式部などが華麗に織りなすビカレスクロマン(悪漢小説)!

    源頼光【みなもとのよりみつ】

    948‐1021(天暦2‐治安1.7.19) 摂関時代,武力に優れた中流貴族。 源満仲の嫡男。母は源俊女。摂津源氏の祖。 春宮坊権亮,内蔵頭,但馬守・美濃守,摂津守などを歴任。 藤原道長との関係が深い。 土御門殿新造にあたって家具調度を献上。 大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)退治伝説の主人公。

    坂田金時

    参照 平安大辞典:坂田金時へ <童話と解説> 金太郎 金太郎異聞 (1)伝説上の金時 995〜? 名前は,「公時」「酒田」「金太郎」「怪童丸」とも記されている。 頼光に従った四天王。 金時・渡辺綱・平貞道・卜部季武 21歳:刀鍛冶として働いた。頼光に見いだされ「坂田金時」と名付けられた。 36歳:酒呑童子退治に加わった。 足柄山で消息を絶った。 妻子はなかったようである。 (2)史実としての金時 『御堂関白記』1017年:「公時」と記載。道長の近衛兵。18才で死去。 この時金時は,「相撲使」(力士をスカウトする役といわれる)の役割だった。 『故事談』巻六   藤原道長と競馬(くらべうま)をした。 『今昔物語集』巻二十八第二話   公時,貞道,季武の三人で加茂祭りの見物に出かけた。   初めての牛車に三人ともひどく乗りもの酔いをした。 (3)文化的位相
  • 子供の姿
  • 「小子伝承(童形でありながらスーパーパワーを持つ!)」
  • 金太郎と「赤」
  • 神功皇后が朝鮮出兵をしたおり先に立った兵が,赤を身にまとう。 赤は,魔よけの色。 鳥居の色。 痘瘡に罹ると,赤い色で覆う。 赤は,古代の雷神信仰に通じるともいわれている。
  • 鉞(まさかり)をかつぐ金太郎
  • 鉄・刀は神聖を帯びている。 なぜ,鉞なのか? 『前大平記』(1803年) 山姥が山の上で眠っていた時,夢の中で赤い竜が雷鳴とともに訪れた。 目が覚めると身ごもっていて,それが金太郎であった。 『日本霊異記』上巻1話に栖軽が雷神を捕獲した話が載っている。 「小さい子」のイメージを持ち赤い衣を身にまとう金時が, 竜神と関連づけられるのは『霊異記』の栖軽を参考にしつつ考えるべきであろう。 金太郎は,山姥の子供であって,足柄山に住み, クマやイノシシ・サル・キツネ・タヌキ・ウサギ・トリなどと遊んでいた。 また,昔から雷神は鉞(まさかり:斧のようなものだが斧より刃先幅が広い)を持っているとされていた。 金大郎が赤い身体で鉞を持つ姿は,彼が雷神の子であることの象徴であり, 神の子としての力を持っていることを表している。

    金太郎異聞

    足柄山の金太郎のプロット 場所: 足柄山中地蔵堂地区。 地蔵堂の四方長者がおり,その名前を足柄兵太夫と言った。 この長者に,八重桐と言う一人の娘がいて,酒田氏に嫁いだ。 酒田一族に争いがあり,地蔵堂の屋敷へもどり金太郎を産んだ。 金太郎は,屋敷近くにある夕日の滝の水を産湯に使った。 金太郎は,長者屋敷の庭石である「かぶと石」や「たいこ石」に登って遊んだ。 金時山にも登った。  金時山には,  金太郎が母と住んでいたという「宿り石」  猪の鼻を折って埋めたという「猪鼻神社」がある。 足柄山を自分の庭のように遊びまわ,山の動物たちを遊び相手にしていた。 金太郎は足柄山の怪童と人々にうわさされるほどのたくましい青年に成長した。 ある日,足柄山中で源頼光と運命的な出会いをした 頼光の家来になり,坂田金時と改名。 京の都へ上り渡辺綱・碓井貞光・卜部季武らと共に源頼光の四天王の一人として活躍。 大江山の酒呑童子を退治した。 (→ http://www.shokokai-kagawa.or.jp/nio/hassaku/2003/data/h8.htm)

    潤井戸の水神様

    潤井戸の白旗神社脇の道から西南に歩くと, およそ5分で坂田の金時が活躍したことで知られる, 神々しい池に出ます。 さらに上流に向かうと, 近代工法によって構築された大きな堰があり, 水鳥の憩う風情は,まさに馬琴が描いた神秘な風情といえます。 さらに南方2.5km上ると,水神様が祀られていました。 水神宮の碑文 源泉湧混混南山崖谷間 玄寞布?徳双渠流不殫 永潤井土民生頼以安 此祠蓋係文化十四年丁丑創立矣今 このあとに, 明治25年に潤井土の区民がみんなに諮って祠を改築した との文言が続きます。 碑文の意味は,次のようなものです。   聖なる南山の崖から こんこんと水が湧き出ています。   清らかな瀧の水は,徳をともなって尽きることもなく   民によって守られている水路を流れていきます。   この水は,永く潤井土の民の頼りとなり,   村に平安をもたらしてきました。   この祠は,この水源の瀧に関わるものとして文化14年に建立されました。 毎年,夏になると村人たちは総出で, 水神様から続く溝や湧き水が注ぎ込む池の堰の清掃をしました。 この堰は,徳川秀忠家臣永井信濃守尚政によって, 元和2年(1616)〜寛永3年(1626)までの間に築かれたといわれています。 村落共同体にとって,水の管理はきわめて重要でした。 旱(ひでり)の時には,命に関わる問題です。 関東の北部では,線香に火をともし時間を計りつつ, 水を水路に分けて通したそうです。 (「センコミズ」と称しました) この谷には,縄文時代から人々が生活を営んでいました。 帝京平成大学の敷地内には,そのころの遺跡が発掘されています。 落とし穴もありました。 平成16年12月に谷を歩いたときには, いのししと思われる足跡が残っていました。

    U.四天王剿盗異録[現代語訳]

    天禄2年8月19日, 源頼光は冷泉院の雑務一般を司る職を務めた労が報われて 上総の国司に任じられました。 予想もしていなかった栄達のことであり, 源満仲をはじめ,一族郎党寄り集まって, [この上もないほどの名誉だ!]と喜び合ったのでございました。 これこそ,阿部晴明が「三日の内に,良いことがある]との占いがあたったのだと, 今更ながら晴明の神通力に驚いたのでありました。 こうして,源頼光は渡辺綱以下のたくさんの武士を引き連れて, すぐに京都を発ち上総の国に赴任したのでございます。 源頼光は,天禄2年9月中旬に上総国市原郡に到着。 善を勧め悪を戒め,仁政を施したため,国中よく治まり, 道に落ちた金があっても懐に入れる者がなく, 夜,戸に鍵をかけることもなく, 人々は,それぞれの仕事にいそしんだのでありました。 源頼光の家来である坂田金時は,何か事が起これば真っ先に馳せ参じる勇士でありましたが, 天下太平の世の中にいささか飽きて, あるとき城の外に出て,ひとりで町の中をぶらりぶらりと歩くこと15町を過ぎるほどに, 木々の梢の間より酒屋の旗がはためくのを見つけて, 「私は,久しく酒を飲んでいないので,気力が衰えてきた。 まず,かの酒屋にて少しばかり酒を飲んで, この鬱々とした気分を払おう」 と,思って,酒屋に立ち寄ったところ, お酌をするための少女が迎え出て,酒屋の二階に案内されました。 そこで,酒を5〜6椀飲んだころ, 少女は忙しそうに階下に降りて, その後はぱたりと音沙汰がありません。 金時は,いくども手をたたいて少女を呼びましたが, 返答がなかったので,気の短い金時は大いに怒り, 「おまえは,お客を迎えながら,このように酌もせず,おれをほったらかしにするとは いったい何を考えているんだ」 と叫んだところ,店の主が驚いてとんできて, 「お客様,そんなに立腹なさらないでください。 ちょうど今,珍しい祭りが店の前を渡っていくところなので, あの少女はそれを見ようとして,しばらくはここには来ないでしょう。 あの娘はまだ幼いので,礼儀知らずのところをお許しになって, お客様も,店の軒の前に出て,祭りの山車が通り過ぎるのをご覧になったらいかがでしょうか?」 そして,店の主が膝をすり寄せて金時に言うには, 「このことについては,とても哀れな物語があるのです。 ここより1里ばかり離れたところにある湿津という山里に, 周囲二十町にあまる池があります。 青い水をたたえたその池は,いったいどのくらいその深いのかまったくわりませんが, 悪竜が住み着いているのでございます。 日照りの時にや,長雨で民百姓が困った折にこの池に祈ると, たまに霊験があるのですが, 去年の夏,60日あまりも日照りが続き, 苗は黄ばみ枯れてしまい,種物も絶えようとしたため, 周辺の村々は,みななこぞってこの池に祈りを捧げたのであります。 しかし,いっこうにこれといった霊験もありませんでした。 しかし,この頃,どこから来たのかわかりませんが, 菓麻(くま)の里に旅の宿を求めたひとりの修験者がおりまして, このことを聞き伝え, 「わたくしが,その龍神を祀り,たちどころに雨を降らせて進ぜよう」 と言って,池のほとりに壇を高く築いて,注連縄を引き回し, 和稲・荒稲・甘菜・辛菜・鰭(はた)の広物・鰭の狭物(さもの)を盛り並べ, 十二の神燈を掲げ, 法螺(ほら)を吹き, 錫(しゃく)を鳴らし, 玉の汗を流し, 7日7夜雨乞いをしたところ, はたして一日中雨が降り,市原郡のすべてを潤したのでございます。 このため,末永く龍神の徳を仰ぎ,修験者の功を賞するため, 池のそばに祠(ほこら)を建て, その修験者に祀らせたところ, これより以降,春夏秋冬の四時ごとに, 美しい女性を血食(いけにへ)とし献上しなければ, 龍神大いに暴れ出て, 田園を損ない破るという祟りをするようになる。 しかし,生きている者は誰でも命を惜しむから, 自分が血食になろうという女性がいなくて, その祭祀を行わないと,龍神ますます暴れ一郡の人々を皆殺しにする, との託宣があったのです。 村の人々は皆,この託宣に驚き恐れ,やむを得ず生け贄(いけにえ)になる女性を選ぶため, 各々籤を(くじ)を引き,生け贄を決めました。 この籤に当たった者の親兄弟の悲しみはいかばかりでございましょうか。 聞くほどに痛ましく見えて,哀れなことこの上もなく, 袂(たもと)を濡らさない者はいませんでした。 しかるに,明日は冬至の嘉節ですから, 冬の祭祀をしようと予め(あらかじめ)生け贄の籤を引いたところ, 房州第一の美女姫松という者にあたりました。 この姫松は,7年ほど前にひとり小舟に乗って黒戸の浜に漂って来たのでございますが, 親の名前を明かさないので,どこから来たのかわかりません。 あでやかな顔色は隈なき月や盛りの花にも勝っておりました。 さて,ちょうどその時, この姫松を輿(こし)に乗せ,湿津の神社にかついで運ぶということで, 人々,皆,大声を上げながら走っていたので, 店の少女はこれを見たくてつい失礼をして, お客様の怒りをかってしまったのでございます と,事件の顛末を長々と語ったのも 「商人は言葉が多いもの」ということでございました。 金時は,これを聞いてあざ笑い, 「そもそも,ことの根本を考えてみるならば, 神というものは,正直を体にして,慈悲を心としているのである。 しかし,今回の事件は,罪のない人を殺して,不仁の祭りを受けている。 このことに,道理はあるのか? ないと,考えるのが当然である。 「もし,仮にこのように道理に反する祭りを受ける神がいたとしても, それはわいわい騒ぐだけの道理にそぐわない乱暴な神であって, 祀る必要などありはしない。 このおれ様が,その祭りに場所に出向いて, その悪龍を成敗してくれよう。」 と大きな声で怒鳴るのを聞いて,酒屋の主人は,あわてて押しとどめて, [なんと罰当たりなことを言うのでございますか。祟りが恐ろしい。 ほんの少しでもこの神の悪口を言う者は,バチがあたって命を失うと言われているのに, このようにたわけたことを大声で言って,つらいめにあいますよ。」 と,諫(いさ)めたところ, 金時は,ますますこれを笑い,そのまま立ち上がったのでありました。 ちょうどその時,白木造りの神輿に縄をかけて大勢で引っ張りながらやってきました。 その前後には,見物人がわんさと押し掛け,祝詞を高らかに読み上げる人もいます。 その神輿が金時が酒を飲んでいた建物の下を通ったので, 金時は,ひらりと窓の手すりをひらりと飛び越えて,神輿の前に立ちふさがり, 「おまえたち愚かな人間たちよ。 いかさまの祭りに参加し,不条理に人間を殺すのをやめろ!」 と大声で怒鳴った。 その声は,まさに雷のようであったので,そこにいた人々は皆驚き, 何事が起きたのかと,神輿を下におろし,道の両脇に立ちつくしていたところ, 金時は,つづいて次のように言ったのでありました。 「おまえたちは,その女を早く神輿から降ろせ。 おれが,その女の身代わりになって今夜の犠牲になってやる。 もしこのおれ様に逆らう者があれば,この場で打ち殺して, その後,国司に訴えるぞ」 と言ったのでありました。 その勢いは,あたかも大山が崩れるようで, もし「いやだ」といえば,つかみ殺されるように見えたので, 「あとで神の祟りがあったとしても,今ここでたちどころに殴り殺されるよりはましだ」 と思い,皆,話し合いをするまでもなく,姫松を助け出しました。 金時は,酒屋の主人を呼びだし, 「この女をおまえに預ける。明日の朝,おれが帰ってくるまで,よく労るように」 と命じて,神輿の乗ろうとすると, 太刀が長く都合が悪いので,これを酒屋の主人に預け, 短い太刀だけを腰に差して,神輿の中に座り, 「さあ,持ち上げて出発しろ」 と言ったところ, 人々は,神輿をもとのように閉めて,錠を差し,湿津の池目指してかついで運びました。 姫松が乗っていたときに,10人あまりで担ぐことができましたが, 金時は,30人で担いでも肩が耐え難いほど痛くなり,ついに日が暮れてしまいましたが, それでも松明を灯しつつ,ついに湿津の池に至りました。 神殿の前に神輿を置いて,人々は池の前から去っていきました。 夜も次第に更(ふ)けていきました。 月は山の端(は)に登り,その姿を池の面(おもて)に映しだし, 水鳥の声寒く聞こえて,はやくも三更になるかと思う頃, 2〜3人の足音がして,忍び足で近づいて来る者がいました。 金時は,神輿の物見窓からこれを見ると, としごろ50過ぎの修験者に,怪しい風体の男ふたり, 相伴って,鳥居のほとりに歩み寄りつつ,その修験者が言いました。 「今夜の生け贄は,姫松という美女であるから,田舎の土臭い女と同じではない。 そのことをよくわきまえて,価をつけて買ってくれ」 といえば,ふたりはうなずき, 「まず,その女を見てから女の値段を決めるべきだ。早くそんの女を見せてくれ」 と言えば,修験者は,神輿の錠ををねじ切って, 何も考えずに油断しきって女を出そうとしたところ, 金時は,このときとばかりむずと修験者の腕をつかみ,神輿がから出るが早いか, 地面にたたきつけたのでありました。 「おまえたち,愚かな人々をごまかせたとしても,この金時を欺くことはできないぞ」 と,ののしれば,ふたりの悪者は,「金時」の二字を聞いて,たちまち戦う意志を失い, 顔が土気色になって逃げようとはするが,腰が立たず, ただ「許してください」と言って伏し拝むばかりであった。 金時は,すぐさまこの二人を捕まえ, 頭と頭を打ち合わせて,鳥居の柱に縛り付け, さらに修験者を責めて,次のように言ったのでありました。 「なんじら,この仏をたばかる悪者たちよ, 優婆塞天に次のようにあるのを知らないのか!   月があって,ひとりひとりの行動を照らし,   国には法律があって,よこしまな考えを持った者を照らし出す。 どうして,このような悪事を好きなようにやってのけ 他人の妻や子供を奪ったのであるか? すぐに,積もり積もったすべての罪を白状せよ」 と責め立てたのでございます。 修験者は,たったいま金時の大力によって投げ飛ばされ すでに息も絶え絶えであったが, 虫の息ばかりのあわれな声で, 「わたくしめは,これまでずっと東海道を遍歴し, 医王の霊験あらたかと偽り,効能もない薬を売って歩いた行元という者です。 ちかごろ,この池の竜神に生け贄をそなえるという名目で, 見目麗しい女を奪略し, この者たちを遠方に売って,その代金をかすめ取ってきたのでございます。 また,このふたりは,塩海九郎・満禄五郎という安房国の悪漢であるが, かねてより連絡をしあって, 生け贄があるたびにこの地に忍び寄せ, 夜中にその女を船に乗せ遠国に連れて行ったので, この悪巧みに気がつく者もいませんでした。 その罪は万死にしてもなお軽いとはいえ, そこをどうじ一命をお救いください」 とわびたのでございます。 金時,からからとうち笑い, 「そうであろう,そんなに恐れることはない。 明日,国司に罪の内容を告げるまでは,おれ様はおまえの首を取りはしない。 しばらくここで,苦しんでおれ」 と言いつつ,このおとこも鳥居に縛り付け, ひとり社殿に腰を下ろし,夜の明けるのを待っていました。 このようにして,東の空がしだいに白みかけていきました。 まだ薄暗い時分に,里人たちが金時のことが心配で明るくなるのを今や遅しと走り来て, この情景をいぶかしがりつつ,ともあれご無事でよかったと喜んでおりますと, 金時は,里人たちを近くに召し寄せ, 行元やふたりの悪漢たちの悪行を詳細に語ったうえで, 「おまえたちは,考えも浅く行元にあざむかれ, 去年より数名の女を奪われてしまった。 おれは,これからやつらを拷問にかけて,女を売ったところを突きとめて, そのかわいそうな女たちを探し求めて,それぞれの家に帰すつもりだ」 と言えば,里人たちは,皆,過ちに気がつき, たちまちに地上にひれ伏し, 「まことにあなた様は,我々にとって土地の神様の守り本尊に違いありません」 と言って喜ぶこと限りがありませんでした。 頼光朝臣は,先に欺かれて売り飛ばされてしまった女を探し求めて, それぞれの家に帰しました。 そして,悪漢三人の首を刎ね, 過去の罪を明らかにしたので, 国中の人々は賞罰の明らかなることを知り,天子様の武徳をいよいよ仰いだのでありました。


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