本講義では、女性史の一貫として和讃をとりあげています。
既成のあらゆる宗教とは無縁です。
また、いわゆる「水子」などについても、文化史の範囲において考察をします。
個人の信仰には関与しません。
本講座では、和讃とともに子守唄にも言及しています。
子守唄も、日本における女性史を考察するにあたって、
きわめて重要な資料となるからです。
和讃とは?
仏教の教えをわかりやすく七五調の今様風歌謡に仕立てたものである。
例「一遍聖絵」巻九所収「別願和讃」
身を観ずれば水のあわ、消えぬるのちは人もなし。
命、思へば月の影、いでいる息にぞとどまらぬ。
人天善処のかたちをば、惜しめども皆たもたれず。
地獄鬼畜の苦しみは、厭へどもまた受けやすし。
<訳>
この身をよくよく見てみると、水の沫のように儚いものだ。
一度命を失い消えてしまったら人としての形をとどめることもできず、
髑髏となりやがては土に帰る。ああ、命というものは、
じつに水に映る月の影のように儚いものだ。
ひとたび風が吹くと消えてしまう。
命とは、いま出たり入ったりしている息の、その瞬間すら保つことができないような、
そんな儚いものなんだ。
六道のうち、天や人間のようによい境遇に生まれ続けたいと願っても、
皆、その姿をとどめることはできない。
地獄におちたり鬼畜の姿になるのを厭うても、
罪をたやすく犯してしまう凡夫の身であればその運命から逃れることは難しい。
*****
本資料では、「和讃」を資料に用いつつ、特に女性に対する不条理な迫害の歴史を考察する。
例:(1)「五障」=女性は、梵天王・帝釈天・魔王・転輪聖王・仏身の五つには
なれない身であるという説(『法華経』)
(2)「三従」=とくに儒教で、女性の従うべき道として示された徳目。
<家にあっては父に従い、嫁いでは夫に従い、老いては子に従う>
(3)「女人結界」=女は地獄の使者とされ、
比叡山や高野山などのような聖なる「山」に登ることができなかった。
【注】一見女性を忌避する山岳宗教であるが、<母>との関係性を無視することはできない。
高野山=九度山慈尊院 弘法大師(空海)の母が住んだところという伝承がある。
比叡山=雄琴千野の安養堂 良源の母が住んだ所
吉野金峯山=役行者の母公堂ハハコドウ
立山=開山慈興上人の母を祀る姥堂
∴結界地には開山の母(あるいはそれに類する女性)が祀られる。
<母>をとおして開山に結縁し、その後に仏菩薩と結縁する構造になっている。
【参考】 喜多 路 『母神信仰』錦正社 H6/1/17
西口順子『女の力』平凡社選書110
基本参考文献
・「和讃」武石彰夫 法蔵館S61/11
・「日本の子守唄」松永伍一 角川文庫
[女人往生和讃]
基本的には、仏教では<女性は往生できない>とされている。
ただし、「悉有仏性」(天台宗の根本教義:すべての人間に仏性が内在する。
すべての有情に仏性が存在する。
すべて存在に仏性質が存在する)の立場から、
「皆成仏」(女性を含め、すべての人が成仏できるという考え方)を説く教えが、主流を形成する。
抑々ソモソモ、女人の苦しみは、後生の山も高ければ、
三従の海も深くして、高野のごとく山々も、一足にても登りえず、
身の浮き雲に誘はれて、月の障りとなる時は、苦しや七日の責めぞかし、
さすれば汚れの品々も、塵に交り火にくばり、
浮き川にて洗うては、水神火神を汚すなり、
其の流れをば汲みあてて、神や仏にたてまつり、其の罪即ち身にむくひ、
血盆地獄へ堕ちるなり、
堅横共に望むれば、八万四千由旬なり、血池の中に落ち入りて、
日々苦しみ受けるとき、髪は浮き草 身は沈み、浮きつ沈みつする中に、
其の血を呑むこと限り無し、悲しさ云ん方もなし、
斯る難儀に是だけの、世々の仏の御誓い、様々なれど悲しきは、
女人を救ふ願なきを、阿弥陀如来の其の昔、われ仏となるならば、
女人の罪も救はんと、五劫に思惟をこめたまふ、誓ひ空しくならずして、
五七の願を御成就、西方浄土に安住し、我らごときの罪人を、
御身にかへて助けんと、無量の功徳を御名ごめ、此の御名を唱ふる者あらば、
一文不知の愚鈍でも、尼入道のともがらも、往生させん願なれば、
女人罪人おろかなり、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、
[石女地獄和讃]
「石女」:ウマズメ「不生女」 妊娠せず、子供を産めない女性。
家の存続を最も重んじる近世の封建社会では、子供のない女性は、それだけで離縁の理由になりえた。
むろん、「石女」は不当に女性を迫害する言葉であり、
現代では使用してはならないことばのひとつである。
(本講座では、古典本文中に出てくる歴史的語彙として扱う)
あら恐ろしや石女の、苦しみ語らんやうもなし、
阿房羅刹の鬼共が、剣の山に追ひのぼせ、独りは西へ行けと云ひ、
独りは東へ行けと云ふ。西へ行かんと欲すれば、東へ歩めと責めるなり。
余り事の苦しさに、しばし絶えいる其の内に、
又もや鬼が現はれて、糸竹薮へ向はせて、
竹の根を掘れ根を掘れと、燈心持たせ責めるなり。
娑婆にて二人になるならば、かかる苦患は無きものを、
たとへ糸竹の根を掘るも、わが子と二人で掘るならば、此の悲しみはあるまじに、
丈なる髪を切りほどき、竹の根本に巻きつけて、
引けどしゃくれど何イカなこと、
根は揺るがねど髪は抜け、抜ける苦しみ血の涙、
石女地獄は愚かなり、無限三十六地獄、
中にも苦しき血の池は、言葉も更なる有様を、
助け給へや阿弥陀仏、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。
[賽の河原地蔵和讃]
賽の河原:三途の川の河原。
死んだ子供が、ここで父母の供養に石を積んで塔を作るのを、鬼が邪魔をする。
子供は、積んでは壊される苦しみを続ける。
近世以降の地獄絵:賽の河原において子供を救う地蔵尊が盛んに描かれた。
これは、「賽の河原地蔵和讃」の普及による。
帰命頂礼地蔵尊、此は此世のことならず、
死出の山路の裾野なる、賽の河原の物語。
聞くにつけても哀れなり。
二つや三つや六つ七つ、十よりしたの幼子が、賽の河原に集まりて、
西に向かひて父恋し、東を見ては母恋し、
こひしこひしと泣く声は、此世の声とは事変わり、悲しさ骨身を通すなり。
此世に残りし幼子は、母の添い寝に幾たびの、乳を飲まするのみならず、
荒き風にもあてじとて、綾や錦に身をまとひ、其の慈しみ浅からず。
然るに冥土の幼子は、雨の降る日は雨に濡れ、雪降る其日は雪中に、
凍えて皆々悲しめど、娑婆と異ひて誰一人、憐れむ人があらずなの、
上にあつまる幼子は、小石小石を持ち運び、之にて回向エコウの塔を積む。
一重積んでは幼子が、紅葉のやうな手を合わせ、父上菩提と伏し拝む。
二重積んでは手を合わし、母上菩提を回向する。
三重積んでは故郷に、残る兄弟(ハラカラ)わが為と、
昼は各々遊べども、日の入相の其頃に、地獄の鬼が現れて、幼きものの側ソバにより、
「やれ、汝らは何をする、娑婆と思うて甘えるな、ここは冥土の旅なるぞ、
娑婆に残りし父母は、追善供養はとにかくも、只明け暮れに汝らの、
形見に残せし手遊びや、太鼓人形かざぐるま、着類を見ては二親が、
酷ムゴや可愛や不憫やと、親の嘆きは汝らの、
責め苦を受くる種となる、必ず我を恨むな」
と、云ひつつ金棒さし延ばし、積みたる塔をば押し崩す。
やれ恐ろしやと幼子が、南や北や西東、こけつまろびつ逃げまわる。
なほも獄卒鉄棒を、振りかざしつつ無惨にも、数多アマタの幼子睨みつけ、
既に打たんとするときに、幼子恐ろしさやるせなく、
各々やさしき手をあわせ、許したまへと伏し拝む。
拝めど無慈悲の鬼なれば、取り付く幼子はねのけて、
「汝ら罪なく思ふかよ、娑婆にありしその時に、母の乳房が出でざれば、
泣く泣く胸を打つ時は、天地奈落へ響くなり、
過去の罪科ツミトガある故に、責苦を受くると思ふべし」
云ひつつ又もや打たんとす。
やれ恐ろしやと幼子が、両手合わして伏し拝み、許し給へと泣き叫ぶ。
峰の嵐が聞こゆれば、父かと思うて馳せ上り、辺りを見れども父は来ず。
谷の流れの音すれば、母が呼ぶかと喜びて、こけつまろびつ馳せ下り、辺りを見れども母はなし。
幼子あはれ声をあげ
「なう父上は在さぬか、なう懐かしや母上」
と、此の世の親を冥土より、慕ひ焦がるる不憫さよ。
泣く泣く其の場に打ち倒れ、砂を褥の石まくら、泣く泣く寝入る不憫さよ。
されども川原のことなれば、小夜吹く風が身にしみて、
又もや一度目をさまし、父上なつかし母ゆかし。
これが 子供の一念ぞ。
折りしも西の谷間より、能化の地蔵大菩薩、
右に如意宝の玉を持ち、左は錫杖つきたまひ、動ユルぎ出させ給ひつつ、
幼きものの傍らにより、
「あはれ不憫の幼子よ、汝ら命短くて、冥土の旅に来るなり。
娑婆と冥土は程遠し、いつまで親を慕ふとも、娑婆の親には会へぬぞよ。
今日より後は我をこそ、冥土の親と思ふべし」
幼きものを御衣の、袖や裾に抱きいれて、憐れみ給ふぞ有りがたや。
いまだ歩まぬ幼子を、錫杖の柄にと取り付かし、
忍辱ニンニク慈悲の御肌に、泣く幼子を抱きあげ、
撫でさすりては地蔵尊、あつき恵みの御涙、
袈裟や衣にしたへつつ、助けたまふぞ有りがたや。
大慈大悲の深きこと、地蔵尊に如シくはなし。
之を思へば皆人よ、何程三子ミツゴの霊とても、
念仏供養おこたらず、朝な夕なに怠らず。
[地蔵信仰]
地蔵三経(『十輪経』『占察経』『本願経』)は、七世紀に成立。
従って、中国の地蔵信仰の隆盛もその頃か?
日本に伝播した仏菩薩の中で、最も現世利益的な菩薩。
平安時代末(9世紀後半から10世紀にかけて、
地蔵の造像が盛んになる)から貴族社会を中心に広がりはじめた浄土信仰
(源信『往生要集』などの影響。地獄抜苦の思想は、
『往生要集』に始まる。SEE:速水侑『地蔵信仰』)に於いて、
此岸(この世)と彼岸(あの世)との境にいて、
幽冥界にいく死者を救済してくれる菩薩。賽の川原にいる。
江戸時代になると、ますます盛んになる。
毎月二十四日が縁日(現代:東京巣鴨のとげ抜き地蔵の縁日)。
『今昔物語集』には<地蔵>の巻がある。
(1)子どもの救済
子安地蔵の 子育て・子授け
子どもの安全・病気の子の身代わり地蔵
(2)村落共同体の守り神
道祖神と結びつき、村の守り神となった。
地蔵尊の姿
姿=童子の姿・右手に錫杖 左手に宝珠
参考[間引きによる胎児の葬式方法]
仏教民俗学大系4祖先祭祀と葬墓 波平恵美子「異常死者の葬法と習俗」
(1)「子墓」とよぶい墓地が別にあり、普通の死者とは別にして葬った。
竹を伐って墓の周囲に「犬に喰われないため」さした。
埋葬場所が同一の場合は、墓所の入り口に葬った。
特別な墓所を持たない地域では、家の床下、空臼の下、
軒先の雨だれの落ちるところなどに埋め、家から外へは出さなかった。
紀北・紀南:お寺の境内に「子三昧」という一角を設け、
夕暮れ時に遺体をボロギレで包み埋葬。僧に読経を依頼。
死産の嬰児は「ミズコ」と呼ばれ、月が満ちれば水になるとされた。
その弔いをアゲヅトメといった。これは、正式の法要ではない。
(2)「子墓」は設けないが、墓の形が異なる。墓標を立てないところもある。
静岡県沼津市内浦:流産児には、着物を着せて埋葬。
間引きによって死んだ子は、木で脚を組み菰をかぶせて埋葬。
「余り丁寧にすると子供の重荷になる」。
小豆島内海町:子供の墓を作らずにお地蔵さんをお祀りした。
和歌山県:埋葬地に小石を置き竹で囲いを作った。
(3)墓碑もお地蔵様も建てないばかりか、目印となるものも置かない。
新潟県岩船郡朝日村:十八歳未満の者を「世を持たないもの」として無縁仏として扱い、
寺から戒名をもらうで簡略にすます。
十五歳未満の者は「ジゾウッコ」と称し、家の者が後ろ向きに背負って運び墓に埋めた。
佐渡郡羽茂町小泊:三歳までの赤子の葬式は、
寺からノブミというものをもらって棺に入れてやる。
また、草履、玩具、戒名を入れる。
ツバキの枝を付けた青竹の花籠を道の四辻に立てておき、
そこを通る人はツバキの葉をとって花籠に入れて拝んでいく。
和歌山県:「幼児が死んだときは、後を祀ると生まれ変わる障害になる。
祀らないと、早く生まれ変わることができる」として、簡略に祀る。
死んでも、親類には知らせずに月の暮れになってワラットに入れ、
菅笠をのせて野辺送りをした。念仏も身内でした。
嬰児は火葬にすると骨が残らないということで、土葬にするところが多い。
[間引き]
堕胎の方法には次のようなものがあった。
・ほおずきの根を挿入
・灰汁(アク)を飲む
・唐辛子や大根のからみを食う
・ごぼうやの根やよもぎの堅軸を挿入
・高いところから飛び降りる
・へその上に灸をすえる
・麦わらの茎でつつく(サシグリ)
・水銀を飲む
・(生まれた子に)乳を与えない
・(生まれた子を)逆さにつるす
・(生まれた子を)産湯の中で水死させる
・(生まれた子を)男親が膝の下に敷き、糠などを口に詰め込んで窒息させる
・(生まれた子を)縄で首をくくる
・(生まれた子を)筵につつんで土の中に埋める
・(生まれた子を)桑畑の中に穴を掘って捨てる
子供は、川に流した。「流れ仏」「かな子」「水子」
粗末な布に包んで埋める。
子を殺したら、「山へやった」「川へやった」。
一定の収穫しかない所では、一定の人口しか生きることができない。
社会の裏面史に産児制限の問題がある。
近世末期:上総30万戸の農家で「間引き」は、年々3〜4万人?
沖縄の例
「生きてゆくためには、そうするよりほかになかった。
取り上げた子どもらが、ちょっとでも息のつける暮らしをするためには、
あとの子は、あの世にもどすほかなかった。
いまも、家の床の下にあの子らを埋めた上にのせた小石が残っている。
私は、毎晩その上に寝ている。
もどした子がかわゆうないことがあろうか。
わたしはどうせ死んでも地獄よりほかへ行かぬと思っている。
もどした子どもらも、そこで暮らしていると思う。
死んだらそこへ行って、少しでももどした子らを守ってやりたい」
[葬るときの儀礼]
・子の脇に鳥の羽をいれて、昇天を祈る。
『古事記』「倭建命、死去し、八尋白智鳥と化し飛びゆくを、
后、御子等哭きつつ追う。」
・水子の碑
・賽銭、衣類
・護符 月水之大事
極重悪人 無他方便
唯称弥陀 得生極楽
五百川 清き流れは あらばあれ 我は濁れる 水に宿らん
*****
【子守唄】の世界 −−迫害された女性の悲哀−−
参考資料:松永悟一『日本の子守唄』>
:赤坂憲雄『子守唄の誕生』>
夕焼け小焼けの 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
山のはたけの桑の実を
小かごにつんだは まぼろしか
十五でねえやは嫁にゆき
お里のたよりも たえはてた
子守唄の形態
(1)夢のような気分に誘い込む唄
(2)怖がらせる唄
(3)笑わせて気持ちをゆるめる唄
(1)の例
東京
ねんねんころりよ おころりよ
坊やは良い子だ ねんねしな
坊やのお守りはどこへ行った
あの山越えて里行った
里のおみやげ何もろた
でんでん太鼓に笙の笛
おきゃがり小法師(コボシ)に犬張り子
(2)の例
・岐阜
さぶや北風 かわいや子供
サイの河原で石を積む
積んだと思えば鬼が出て
こわしゃよけ積む
つみゃこわす
・千葉
ねんねこ寝てくれ いい子だね
かんかち山のとら猫が
人さえ見れば喰いたがる
二人を見ればのみたがる
いい子だね ねんねしな
(3)の例
・佐賀(わらべ唄)
こんこん小山の子うさぎは
なぜにお耳が長うござる
おっ母ちゃんのぽんぽにいたときに
長い木の葉を食べたゆえ
それでお耳が長うござる
こんこん小山の子うさぎは
なぜにお目めが赤うござる
おっ母ちゃんのぽんぽにいたときに
赤長い木の実を食べたゆえ
それでお目めが赤うござる
・群馬
ねんねん猫の尻(ケツ) 蟹が入りこんだ
一匹だと思ったら二匹入りこんだ
お母ちゃんがたまげてお茶をこぼした
お父ちゃんがためげて鎌投げた
・大分
あわれなるかな ぼた餅は
搗(ツ)かれてもまれて たたかれて
せつない茶碗に山もられ
のどの細道通り過ぎ
おなかで一夜の宿を借り
明日はくさい甕の中
五木の子守歌
ねんねこころりよ おころりよ
ねんねしないと 背負(カル)わんぞ
ねんねこころりよ おころりよ
ねんねしないと 川流す
ねんねこころりよ おころりよ
ねんねしないと 墓立てる
#「ねんねしないと、米良川の流すぞ。
それでもねんねしなければ、殺してしまうぞ。」という意。
子を殺す唄
(1)群馬県
ねんねのおともはどこへ行った
尾島の宿へ餅買いに
餅買って 菓子買って 誰に喰わしょ
オカヨにくれてはらませて
女ができたら ふみつぶせ
男ができたら とりあげろ
とりあげ育てて お嫁とろ
お嫁はいつくる 晩にくる
晩のいつ頃 十時頃
十時過ぎてもまだ来ない
門の外に出てみれば
嫁は手ばたき 歌で来る
嫁の道具は何道具
箪笥長持はさみ箱
(2)茨城県
ねんねこ どっちゃん
亀の子 どっちゃん
わしゃ七面鳥
かかほし かかほし おかかほし
おかかをもらって 何にする
昼は ままたき 洗濯に
夜はぽちゃぽちゃ抱えて寝て
抱えて寝たけりゃ子ができる
女の子ならおっちゃぶせ
男の子ならとりあげろ
とりあげばあさん 名はなんだ
八幡太郎とつけました
(3)岩手県
向かいの山から 雌ん鳥とんできた
雌ん鳥やつのいうことにゃ
猫の腹に子がある
男ならたすける
女ならぶっつぶせ
名は何とつけ候
八幡太郎とつけ候
八幡太郎のお厩に
馬何匹たてこんだ
中のよい馬に油ひいて鞍置いて
とっく とっく と乗っていこう
観音堂がせきならば
かたくずして堂築ツいて
堂のあたりサ種まいて
菊の花も十六
お姫も十六
お姫が油買うて行くどって
すめり転んであしてま噛まれた
猫殿 猫殿 ゆるしてくりゃれ
明日の市に鰹節カツブシ買うて
振る舞いいたしましょう
(4)宮崎県筑波山あたり
なんと この子が 女の子なら
菰コモにつつんで 三つとこ締めて
締めた上をば もんじと書いて
池に捨つれば もんじの池に
道に捨つれば もんじの道に
薮に捨つれば もんじの薮に
人が通れば 踏み踏み通る
なんと この子が男の子なら
寺にさしあげて 手習いさせて
筆は巻き筆 硯は碁石
墨は ほんまのにおい墨
[ヤマの子守唄]
・上野英進「追われゆく坑夫たち」
坑内で流産する者も多いですね。
なにしろ傾斜のひどいところを荷をかついで昇り降りしますから、
わたしも二回流産しました。
いいえ別に休むということもないですねえ。
綿とか晒(サラシ)とか持っている者はいやしません。
赤ん坊が生まれたら、ボロになった着物にくるんどくんですから。
流産すれば、わらじでも新聞でもあるもんをつっこんどく、というのが普通です。
そして、変わらないように働いとる。
子供が産まれると個人の家になんぼか出してあずけよりました。
子が育つ間に親は何回かケツワリ(脱走)、
それを見つけだされて叩かれたりしましてね。
事務所の土間に座らされている親のそばにぎゃんぎゃん泣きよります。
母親にすがりつこうとするのを蹴ったりしていました。
そして、父親も母親もステッキで気絶するように叩く。
その横で泣きわめいたり気が遠くなったりする子供がかわいそうで、とても見ておれません。
子供をおぶさって下がりよりましたが、
あんなひどいことしてよう生きとると思うばい。
朝早く行かな函がとれんから、二時ころ出るたい。
早く出ると、二番方の残り函がある。
実函押すときは子を負うて何百間(一間は、約1.8m)と押していく。
から函を、あっちまげこっちまげして、また引いてくる。
子を板木の上におろして石炭をスラに積む。
子が少し大きくなればメゴ(担い籠)に入れて垂木(タルキ)に下げてやったりしたの。
函を押していくときにちょっとゆすってやる。
帰ってきたときに、またゆすってやりよった。
時々、乳を飲ませてね。子供が座るごとなりゃ、
ショウケ(ざる)に座布団を入れて切羽(きりは)で遊ばせておく。
けど、這い出してね、石炭ねぶって遊びよる。あぶのうして、はらはらしよったねえ。
注;賃金は、12時間から16時間で30銭から40銭くらい。
森中鎮雄作詞作曲「ザリガニの唄」
父ちゃん今日も帰らんき
母ちゃんヤマにボタ拾い
兄ちゃんどこまでザリガニ取りに
学校休んでいったやら
ザリガニ取ってなんにする
ゆうべのカユのサイにする
夕焼け雲は赤いのに
あしたの学校にゆかれんと
・福岡
おかねが父(トト)さま どこ行たね
金の欲しさに金山に
一年待てどもまだ見えぬ
三年三月に状が来た
状の上書き読うだれば
おかねに来いとの状だもの
おかねやるこた やすけれど
着せてやるもの なになにぞ
下にゃ白無垢(シロムク)、なか小袖
上にゃお一期(イチゴ)のおかたびら
これほど仕立ててやるならば
あとに帰ると思やるな
父さん恋しとさきを見れば
さきにゃ蓮華の花が散る
母さん恋しと後見れば
あとにゃ しぐれの雨が降る
あららん こららん 子が泣くね
泣かせちゃなるまい乳くわえ
乳首くわえて泣くなれば
お茶かけ 白湯(ブウ)かけ飯(ママ)くわしょ
それでもやっぱり泣くなれば
布団かぶせてたたき寝しょ
注(1)
「おかね」「金山」(福岡の場合は、炭鉱)「金が欲しい」とことばをかけた。
子供の「おかね」は、出稼ぎのために、父親に呼び出された。
父と同じように、過酷な境遇で働くことを意味している。
「戻ることはかなわぬ」出稼ぎのための旅路。
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